鏡の法則に乗っかってみる
- 2019/07/12
- 22:04
鏡の法則というのをご存知でしょうか。これは心理カウンセラー野口嘉則さんの著書であり「現実は心を映し出した鏡である」というもの。その内容をチラ見して、なんだか宗教じみてるなんて感じもしますがそれはそれ。信仰なんてその人の考え方次第なので個人的には美味しいところ取り出来ればそれでいいと思ってたりします。
鏡の法則を簡単に説明すると、「現実での出来事は結果であり、そこには常に原因があるもの。そしてその原因は自分の心の中にあり、詰まるところ現実とは心を映し出した鏡である」という考え方です。法則とありますがあくまでも作者である野口嘉則さんの自己啓発であり、心理カウンセラーが書いたからと言って根拠ある心理学書とはまた異なるものです。ただ、その内容のいくつかは納得出来る部分もあり、占いと同じと言うのはいささか乱暴ですが、当たるも八卦当たらぬも八卦として取り入れるのは悪い事じゃないと思います。
鏡の法則でよく挙げられるのが、知人や同僚に不快感を持つ際、自分もまた知人や同僚に同じような不快感を与えてはいないか?という問いかけです。これは周囲は自分の映し鏡であるという考え方であり、良くも悪くもそれらは自分自身の因果応報だというものです。例えば他人の悪口を聞くのは不快です。けれどならば自分はいっさい他人の悪口を言っていないと言い切れるでしょうか。言い切れないから咎めきれない部分はないでしょうか。また同様に夫婦関係にも似た事が言えます。ウチの女房は時間にルーズだ!なんて思っている人ほど時間にルーズだったりもします。そんな事無い!と目くじらを立てずに冷静に分析してみて下さい。鏡の法則では「自分が嫌いな部分ほど相手に映しだしてしまう」ともあります。つまりは自分が時間にルーズなのが嫌いなほど相手のそれが必要以上に目につくのです。
とまあ、言われてみればな話ですが、全人類がそれを理解してみんなで聖人君子になりましょうなんて無茶な話をするわけじゃありません。ただ人の振り見て我が振り直せだったり、子は親の鏡だったり、はたまた因果応報だったり、なんとなくそれっぽい格言は教わっていたりするもので、とかく周りを見て自分の欠点を見極めるのは悪い事じゃないと思うのです。また、鏡の法則では相手を許すことが大切だとも言っています。ふと天国言葉にも「許します」があったのを思い出しました。毛嫌いして険悪になるのは嫌だから我慢するのではなく、自分もまた似た部分があるのだからと理解して、お互いを許し合うのもまた良い結果に結びつく起因となるかもしれませんね。
鏡の法則を簡単に説明すると、「現実での出来事は結果であり、そこには常に原因があるもの。そしてその原因は自分の心の中にあり、詰まるところ現実とは心を映し出した鏡である」という考え方です。法則とありますがあくまでも作者である野口嘉則さんの自己啓発であり、心理カウンセラーが書いたからと言って根拠ある心理学書とはまた異なるものです。ただ、その内容のいくつかは納得出来る部分もあり、占いと同じと言うのはいささか乱暴ですが、当たるも八卦当たらぬも八卦として取り入れるのは悪い事じゃないと思います。
鏡の法則でよく挙げられるのが、知人や同僚に不快感を持つ際、自分もまた知人や同僚に同じような不快感を与えてはいないか?という問いかけです。これは周囲は自分の映し鏡であるという考え方であり、良くも悪くもそれらは自分自身の因果応報だというものです。例えば他人の悪口を聞くのは不快です。けれどならば自分はいっさい他人の悪口を言っていないと言い切れるでしょうか。言い切れないから咎めきれない部分はないでしょうか。また同様に夫婦関係にも似た事が言えます。ウチの女房は時間にルーズだ!なんて思っている人ほど時間にルーズだったりもします。そんな事無い!と目くじらを立てずに冷静に分析してみて下さい。鏡の法則では「自分が嫌いな部分ほど相手に映しだしてしまう」ともあります。つまりは自分が時間にルーズなのが嫌いなほど相手のそれが必要以上に目につくのです。
とまあ、言われてみればな話ですが、全人類がそれを理解してみんなで聖人君子になりましょうなんて無茶な話をするわけじゃありません。ただ人の振り見て我が振り直せだったり、子は親の鏡だったり、はたまた因果応報だったり、なんとなくそれっぽい格言は教わっていたりするもので、とかく周りを見て自分の欠点を見極めるのは悪い事じゃないと思うのです。また、鏡の法則では相手を許すことが大切だとも言っています。ふと天国言葉にも「許します」があったのを思い出しました。毛嫌いして険悪になるのは嫌だから我慢するのではなく、自分もまた似た部分があるのだからと理解して、お互いを許し合うのもまた良い結果に結びつく起因となるかもしれませんね。

