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完治ではなく緩和を目指す方が私には気楽でいいです

そういえば数日前、会社で休日に電気工事があるため停電になるという知らせを受けました。そうなるともちろん普段つけっぱなしの機器もいくつか切って帰る必要があり、例によってソワソワするはずだったのですが――今回は珍しくソワソワもモヤモヤもなく至って普通の精神状態が保たれていました。そもそも考えてみればここ数ヶ月は帰宅時のそれもそこまで執着しておらず、相変わらずの確認行為はしているものの、後になって気が気じゃなくなるなんてことは皆無です。なにげに緩和されているのでしょうか?

もちろんなぜ気にしなくなったのかなんてわかりません。なんとなくその行為に慣れたというか、ある意味行き着くところまで行ったからどうでもよくなってきた感も少なくありませんが――なんとなく、ここのところ仕事が順調だからというのが大きく係わっているような気がします。順調というか、ほどほどに忙しくほどほどに充実感があるだけなんですけどね。それでもやることをやっている、やれているという自負が精神安定に繋がり、結果としてあまり不安を感じなくなっているような気がしなくもありません。

誰しも大なり小なり漠然とした不安は抱いていると思います。けれど、考えてもしょうがないと割り切り、今を生きようとするのが正常であり、むしろ考えてもしょうがないそれをいつまでも考えてしまうのが鬱であったり強迫性障害を誘発する切っ掛けになりかねません。ただ、割り切るというのは不安であればあるほど難しいものであり、そもそも意図して出来る行為ではない気さえします。もっと言うと「だってしょうがないじゃない」というのは後付けでしかなく、普通は理由さえもなく自然と割り切れてしまうものではないでしょうかね。

もちろん私の場合は今がちょっと安定しているだけで、なにかしら不安を感じるとまたすぐにぶり返してしまう可能性は否めません。よもやその繰り返しをしながら生きていると言っても過言ではありません。ただ、こうして安定した気持ちでいる時にこそ、不安に苛まれた時との違いを見つめ直すいい機会であり、再び不安に苛まれた時は「あの時はこうだったじゃない」と、さも成功体験のように自分に言い聞かせるのがちょっとしたコツにもなっています。

あくまで個人的な考えですが、不安障害なんてものはトラウマと同じで、一度でも感じてしまうとどんなに完治したと思ってもなにかしらの切っ掛けですぐまた再発してしまうものではないでしょうかね。むしろそう考えた方が私は気楽であり、だからこそ常に完治しようとするのではなく緩和する方法を模索してしまいます。だってどんなに時代が進んでも鍵だったりスイッチだったりはなくならないでしょう?不安の切っ掛けとなるものが消滅する可能性がないのに不安だけを消せると思う方が私には難しいですから、だったらもう向き合っていくしかないとそっち方向に割り切る他ないのです。それで少しでも緩和から克服へと向かえれば充分生きていけるんじゃないでしょうかね。

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