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本来の目的を見失わないようにしてみましょう

ここのところ、ちゃんとしたFIFA23がやりたくてビデオカード買ったり電源を買い換えたりと思わぬ出費が続きましたが、今回それらを確認したり設置したりする最中、珍しいことに一度も強迫性障害が顔を出しませんでした。そもそも本来ならば掃除ひとつするにも大変で、やれケーブルが重なって火事にならないかとか、コンセントはちゃんと挿さってるかなどの繰り返し作業が多くて、なかなか終わらないどころか終わったらとてつもない疲労感に見舞われることがわかっているためつい敬遠しがちなのですが――今回はなぜか珍しいことにそれらが全然気になりませんでした。

いや、ひとつも気にならなかったと言うとウソになりますが、気になっても強引に前に進んでいたら次から次へとその気になったことを忘れていき、気がつけば終わっていたといった感じでしょうか。それだけ購入のための確認やら遊びたいがための欲望の方が強かったと言えばそれまでですが、考えようによっては不安以外のなにかに目的を持って行動したから不安になる暇がなかったとも思えるのです。

おかしな言い方で恐縮ですが、強迫性障害を患っていると常に不安と向き合っているからか、本来の目的そっちのけでどこかその不安を取り除くことこそが目的となってしまいがちです。たとえばドアを締める時や電気を消す時というのは、多くがそこから出て行くことが目的となるはずなのですが、私の場合は多くがちゃんとドアが閉まったか、電気が消えたか、が目的となってしまい、いわゆるそこから出て行くという本来の目的を見失います。今回不安により手が止まらなかったのは、ひとえに本来の目的である確認したい、遊びたいを見失なわなかったからじゃないでしょうかね。

コンピュータ用語にジョブとタスクなんて言葉がありますが、人間の動作にそれを当てはめると一挙手一投足の振る舞いがジョブであり、それらが複数積み重なることでタスクというひとつの目的が達成されるように思います。つまるところ外に出るというタスクのために電気を消すとかドアを閉めるというジョブがあるわけで、強迫性障害ではそのジョブが間違っていないか、確実に行えているかを気にするがあまり、外に出るというタスクがいつまで経っても完了しないんじゃないでしょうか。

もちろんジョブに間違いがあるとタスクに影響があるのは否めません。でも人間の行動なんてコンピュータじゃないんですから間違いだらけであり、少々間違っていてもなんとかなったりするものです。そりゃ電気が消えてなければ電気代が嵩みます。ドアが閉まってなければ不用心であり空き巣の心配もあります。でも、少なからず電気を消した、ドアを閉めたという行動を一度でもやったのならば、二度目以降をそこまで気にしてもしょうがないどころか秤に掛けると割が合いません。

結局は気にしすぎてもしょうがないというお約束のオチで恐縮ですが、やっぱりすべてはそこだと思うんですよね。確認するなとかしなくていいとは全く思いません。ただ、確認というものは1度すれば充分であり、2度目以降のそれはただただ不安を積み上げるだけというのは医学的にも明らかにされていること。なによりそれが目的となってしまっては本来の目的が疎かになってしまうだけなので良いこと無しです。電気を消すのは、ドアを閉めるのはなんのためにするのか。少なくとも電気が消えたことを、ドアが閉まったことを確認するためにしているはずではないと思うのです。

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