加害恐怖のはじまり
- 2019/04/15
- 22:53
その日は突然やってきました。なんとなく平穏な日々が続き、確認脅迫もどこか落ち着いていたある日、自転車で会社へと通勤中、堤防を越えるための細い橋でひとりの老人とすれ違った刹那、あれ?もしかしていま肩が当たらなかった?と起こってもない接触に後ろ髪引かれ思わずその場に立ち止まってしまったのです。
もちろん接触などしておらず、老人は振り返ることなくそのまま橋を越え歩き進んでいたのですが、私はどうにも気になってたまらずその場に足を止めたまま本当に大丈夫なのかとしばらく老人の背中を見送っていました。
強迫性障害は時として複数の強迫症状を持ちうる可能性があるらしいです。たとえば洗浄脅迫と確認行為とか、たとえば被害恐怖と自殺恐怖とか、得てして似て非なるものながらその性質はどこか似ており、もともと潜在的に持ち合わせていたのか気がつけば複数の脅迫症状に囚われていたなんてのはよくある話みたいです。
今思えば私の場合もまた突発的なようで必然、もともと他人との接触を酷く苦手とする性格から呼び起こされた然るべき結果だという気がします。
何がそんなに怖いのか、それはやはり無意識に他人に危害を加えてしまうことに他なりません。もはやどこにでも書かれてある教科書通りの答えですが、私にとってもまたそれ以外のなにものでもないのです。
もしも接触して相手に怪我をさせてしまったらどうしようと考えるのはもはや普通です。むしろ私はそれによる二次災害に持ち前の想像力がいかんなく発揮され、橋のうえだと川に落ちてやいないかとか、道路際だとよろけて車にひかれてやしないだろうかなんて、よもやありえない状況ばかりが頭を駆け巡り不安になるのです。
加害恐怖に襲われるのは得てして過ぎ去ったあとです。意識しているから余計にかもしれませんがすれ違いざまにはさほど恐怖は感じていません。むしろそこからしばらくして、当たらなかったよな?なんて考えはじめた瞬間から症状はどんどん酷くなり、いてもたってもいられなくなった結果その場に舞い戻るなんてのもよくある話です。
犯罪者は必ず現場に戻るという真理でしょうか?犯罪を犯したつもりはないのですけど、犯罪を犯してしまったかもな気持ちはなきにしもです。
ただ問題なのは私には確認脅迫の症状もあるという事実です。加害脅迫だけならば、現場に立ち戻り何事も無いのを確認してホッと安心するのかもしれません。ですが私はそこで本当に大丈夫なのか?ひょっとしてもう救急車で連れ去られたあとなんじゃないかと、もはや目に見える平穏な風景さえをも疑ってしまっているのです。
困ったものです。だからかそれからというもの気がつけば人通りの少ない道ばかりを選んでいた気がしますが、それはもちろん回避行動であり根本的な解決には繋がりません。さらには人通りが少ないぶん、滅多にすれ違わないはずの誰かとすれ違うといつも以上にその誰かの安否を気遣ってしまうのだからこれまた良いことなしだったのです。
なので私は極力人通りの多い道を選ぶようにしています。逆転の発想なんていうほどたいしたことじゃありませんが、そこで何かあれば自分以外の誰かが気がつくだろうと、よもや巻き込みのような気がしなくもないですが、そもそも何も起きないのが普通なのだと言い聞かせながら私は人通りの多い道を進んでいます。
その結果、人通りの少ない道で誰かとすれ違う機会があると必要以上に緊張をしてしまうなんて弊害が出来てしまいましたが……。
こんな具合に私は加害脅迫も患っています。比率としては確認脅迫7に対して加害脅迫3くらいな気もしますが、加害脅迫を感じた後にはかならず確認行為をしていることを考えると、あらためてこれらは密接に関わっているのだなと実感します。ともすれば家人に迷惑を掛けるかもしれないからと確認行為をするのもある種の加害脅迫かもしれません。会社もしかり、自室以外で行っている確認脅迫はすべて自分以外の誰かに迷惑が被らないようにと行っている気がしなくもないです。
ただ本音をいうと私の場合、それらすべてが確認行為をする自分の大儀なんだと思うのです。家人に迷惑をかけるから確認する、会社が火事になったら困るから確認する、もちろんそう思っている気持ちに嘘はありませんが、それを理由に何度も何度も繰り返して辛い思いをしている自分を正当化している気がしてなりません。
誰かのせいにしなきゃ確認行為から抜け出せないなんて無茶苦茶恰好悪いけれど、そうしなきゃ自我を保てないくらい不安になることも多々あるのです。ごめんなさい。でも絶対に口に出さないから、決して現実には巻き込んだりしないから、想像のなかで頼っちゃうくらいは大目に見て欲しいのです――。
もちろん接触などしておらず、老人は振り返ることなくそのまま橋を越え歩き進んでいたのですが、私はどうにも気になってたまらずその場に足を止めたまま本当に大丈夫なのかとしばらく老人の背中を見送っていました。
複数の脅迫症状を患う
強迫性障害は時として複数の強迫症状を持ちうる可能性があるらしいです。たとえば洗浄脅迫と確認行為とか、たとえば被害恐怖と自殺恐怖とか、得てして似て非なるものながらその性質はどこか似ており、もともと潜在的に持ち合わせていたのか気がつけば複数の脅迫症状に囚われていたなんてのはよくある話みたいです。
今思えば私の場合もまた突発的なようで必然、もともと他人との接触を酷く苦手とする性格から呼び起こされた然るべき結果だという気がします。
二次災害を想像してしまう
何がそんなに怖いのか、それはやはり無意識に他人に危害を加えてしまうことに他なりません。もはやどこにでも書かれてある教科書通りの答えですが、私にとってもまたそれ以外のなにものでもないのです。
もしも接触して相手に怪我をさせてしまったらどうしようと考えるのはもはや普通です。むしろ私はそれによる二次災害に持ち前の想像力がいかんなく発揮され、橋のうえだと川に落ちてやいないかとか、道路際だとよろけて車にひかれてやしないだろうかなんて、よもやありえない状況ばかりが頭を駆け巡り不安になるのです。
現場に戻り確認してしまう
加害恐怖に襲われるのは得てして過ぎ去ったあとです。意識しているから余計にかもしれませんがすれ違いざまにはさほど恐怖は感じていません。むしろそこからしばらくして、当たらなかったよな?なんて考えはじめた瞬間から症状はどんどん酷くなり、いてもたってもいられなくなった結果その場に舞い戻るなんてのもよくある話です。
犯罪者は必ず現場に戻るという真理でしょうか?犯罪を犯したつもりはないのですけど、犯罪を犯してしまったかもな気持ちはなきにしもです。
目に見える風景さえ疑ってしまう
ただ問題なのは私には確認脅迫の症状もあるという事実です。加害脅迫だけならば、現場に立ち戻り何事も無いのを確認してホッと安心するのかもしれません。ですが私はそこで本当に大丈夫なのか?ひょっとしてもう救急車で連れ去られたあとなんじゃないかと、もはや目に見える平穏な風景さえをも疑ってしまっているのです。
困ったものです。だからかそれからというもの気がつけば人通りの少ない道ばかりを選んでいた気がしますが、それはもちろん回避行動であり根本的な解決には繋がりません。さらには人通りが少ないぶん、滅多にすれ違わないはずの誰かとすれ違うといつも以上にその誰かの安否を気遣ってしまうのだからこれまた良いことなしだったのです。
敢えて人通りの多い道を選びます
なので私は極力人通りの多い道を選ぶようにしています。逆転の発想なんていうほどたいしたことじゃありませんが、そこで何かあれば自分以外の誰かが気がつくだろうと、よもや巻き込みのような気がしなくもないですが、そもそも何も起きないのが普通なのだと言い聞かせながら私は人通りの多い道を進んでいます。
その結果、人通りの少ない道で誰かとすれ違う機会があると必要以上に緊張をしてしまうなんて弊害が出来てしまいましたが……。
確認行為をする自分の大儀
こんな具合に私は加害脅迫も患っています。比率としては確認脅迫7に対して加害脅迫3くらいな気もしますが、加害脅迫を感じた後にはかならず確認行為をしていることを考えると、あらためてこれらは密接に関わっているのだなと実感します。ともすれば家人に迷惑を掛けるかもしれないからと確認行為をするのもある種の加害脅迫かもしれません。会社もしかり、自室以外で行っている確認脅迫はすべて自分以外の誰かに迷惑が被らないようにと行っている気がしなくもないです。
ただ本音をいうと私の場合、それらすべてが確認行為をする自分の大儀なんだと思うのです。家人に迷惑をかけるから確認する、会社が火事になったら困るから確認する、もちろんそう思っている気持ちに嘘はありませんが、それを理由に何度も何度も繰り返して辛い思いをしている自分を正当化している気がしてなりません。
誰かのせいにしなきゃ確認行為から抜け出せないなんて無茶苦茶恰好悪いけれど、そうしなきゃ自我を保てないくらい不安になることも多々あるのです。ごめんなさい。でも絶対に口に出さないから、決して現実には巻き込んだりしないから、想像のなかで頼っちゃうくらいは大目に見て欲しいのです――。

