橋を渡るのに恐怖を感じます
- 2019/04/16
- 22:33
加害恐怖のはじまりではまるで前向きに考えているような感じに見えたかもですが、もちろん普通に、毎日当たり前のように、人とすれ違うたびにどこか緊張している自分がいます。なかでも橋はそのきっかけでもあるからかかすこぶる恐怖心が強くて、特に通勤時に避けて通れぬ2つの橋には、毎日いやというほど悩まされています。
私の自宅から会社に行くまでには川が2本あります。当然それを越えるためには橋を渡る必要があり、こればかりはなにをどう考えても避けられないのです。そんなの当たり前だと思うかもしれませんが、実は結構そこに辿り着くまで時間が掛かったのです。確認脅迫しかり加害脅迫でも私は情けないことに、まずはその絶対的な回避手段を考えてしまうんですよね。最悪そうすれば逃れられるという手段を知っておきたい、いわゆる保険のようなものを探してしまうクセがあるのです。
結論から言えば当たり前ですが橋は絶対に避けられないのです。もちろん川が永遠に続いているわけではないので上流ないし下流にまでいけばとも考えたのですが――さすがに遠い。距離がありすぎる。よもや最悪そこまでいってやろうかとも試みましたけれど、海のほとりに住んでいるわけでもあるまいし、行き着く先は川が合流して河となるため結局は橋を渡る必要がどこかで出てくるのです。
最初の橋は家から出て少ししたところにすぐあります。かなり上流に近い位置であるため距離は短く、目測でも10mないので渡りきるのに10秒とかかりません。ただかなり細くて歩いていてもすれ違うのはギリギリ。自転車どうしだと譲り合うくらいです。
なので私はとにかく誰もいない瞬間を待ちます。時間帯的にそこそこ人や自転車が通り抜けますが、距離が短いこともあり停滞することはないので、そこに近づく前から橋全体を常に見渡し、どちらからも人が来ない瞬間を見計らって一気に駆け抜けます。つまり誰もすれ違う相手がいないため安心というわけです。
もちろんその出入りで事故でも起こしては元も子もないので細心の注意を払います。けれどそれでも急に子供とか飛び出して来てすれ違う時がなきにしもなんですよね。そんな時は心を落ち着けて――また橋を逆戻りします。子供が怪我してやいないか、立ち往生していないか、橋から落ちていないかを身を持って確認して、再び橋を渡るところから仕切り直すのです。
そうこうしてるうちに遅刻しそうになることは多々あります。なので極力そこで引っ掛からないよう、かなり慎重に周りを見て乗り越えるのですが、問題はもうひとつの橋なのです。その橋は駐輪場に自転車を置いて会社にまで行くちょっと大きめの橋なのですが、大きめといってもこれまた距離は短く、それこそここも10mに満たないくらい。ただ車も通るためかなり広めで、アールのかかった、私にとっては充分に大きな橋なのです。
もちろん車が通るためちゃんと段差のある歩道があります。横幅も1mくらいはありそうなので充分人が行き来出来ます。そして当然ながら人が落ちないようにおおよそ1m強の欄干もあり、ある意味最初の橋に比べたらこれぞ橋って感じなのですが――会社近くに学校があるからかやたらと学生が多く、ただでさえなのに、不規則な動きをする学生たちが怖くてたまらないのです。
とはいえ方向はみな同じだからか、その時間に前から向かってくる人はほとんどいません。なので私は歩道のギリギリ、なんなら段差のヘリを踏みながら、前の人の背中、もしくは足元に視線を向けて、とにかく無心で橋を渡りきるのです。
ただ以前、極力人通りの多い道を選ぶと書いた通り、むしろ人がいてくれるほうが安心なのです。色んな可能性が増え余計に不安になりそうなものですが、なぜか人通りが少ないほうがかえって不安になりやすいのです。おそらく対象物が限られてしまうから、下手に記憶に残ってしまうからと勝手に分析しているのですが、実際人通りが少なかったり、誰もいない方が私はかえって不安になりやすいのです。
そんな感じで会社についても、帰りにまた同じことを繰り返すのは言うまでもありません。しかしながらこれがまた不思議なことに、同じことといっても私にとってはまったくの別事で、行きと帰りではまたちょっと違った不安に襲われるという、なんとも困ったものなのです。
確認行為はある種ルーチン化された一連の動きであり、確認脅迫に囚われている最中はそのルーチンが崩れるのを酷く恐れます。たとえば確認の最中に物音が聞こえたり、右手で持つところを左手で持ったりと、いつもとは違う状況や行動にとにかく違和感を抱いてしまいついまた最初からやり直してしまうのです。私の場合どうやらそれが加害恐怖にも適応されているらしく、つまりは方向が違えばまた別の行為として捉えてしまっているみたいなのです。
ちょっとわかりにくいですかね?簡単にいうと人は右、自転車は左なのが方向が逆転すると同じ道でも違う道を歩いているような、事実歩道も自転車道も行きと帰りでは逆になるので、また違った加害恐怖が待っているのです。じゃあ帰りはどうしているかなんて書いてもやってることは同じなので割合しますが、実は帰りの大きな橋の方が怖いんですよね。人通りが少ないから……。
ともあれこんな感じで私は毎朝2つの橋に悩まされています。もちろんそれ以外の加害恐怖もありますがそれはまた別の話。よくもまあ毎日同じことに怯えているなとは思いますが、今日も誰にも危害を加えてなくてよかったなんて安心している時点で結構重傷なんでしょうね。
橋は避けられない
私の自宅から会社に行くまでには川が2本あります。当然それを越えるためには橋を渡る必要があり、こればかりはなにをどう考えても避けられないのです。そんなの当たり前だと思うかもしれませんが、実は結構そこに辿り着くまで時間が掛かったのです。確認脅迫しかり加害脅迫でも私は情けないことに、まずはその絶対的な回避手段を考えてしまうんですよね。最悪そうすれば逃れられるという手段を知っておきたい、いわゆる保険のようなものを探してしまうクセがあるのです。
結論から言えば当たり前ですが橋は絶対に避けられないのです。もちろん川が永遠に続いているわけではないので上流ないし下流にまでいけばとも考えたのですが――さすがに遠い。距離がありすぎる。よもや最悪そこまでいってやろうかとも試みましたけれど、海のほとりに住んでいるわけでもあるまいし、行き着く先は川が合流して河となるため結局は橋を渡る必要がどこかで出てくるのです。
最初の橋はそうでもないのです
最初の橋は家から出て少ししたところにすぐあります。かなり上流に近い位置であるため距離は短く、目測でも10mないので渡りきるのに10秒とかかりません。ただかなり細くて歩いていてもすれ違うのはギリギリ。自転車どうしだと譲り合うくらいです。
なので私はとにかく誰もいない瞬間を待ちます。時間帯的にそこそこ人や自転車が通り抜けますが、距離が短いこともあり停滞することはないので、そこに近づく前から橋全体を常に見渡し、どちらからも人が来ない瞬間を見計らって一気に駆け抜けます。つまり誰もすれ違う相手がいないため安心というわけです。
もちろんその出入りで事故でも起こしては元も子もないので細心の注意を払います。けれどそれでも急に子供とか飛び出して来てすれ違う時がなきにしもなんですよね。そんな時は心を落ち着けて――また橋を逆戻りします。子供が怪我してやいないか、立ち往生していないか、橋から落ちていないかを身を持って確認して、再び橋を渡るところから仕切り直すのです。
もうひとつ橋は危険がいっぱい
そうこうしてるうちに遅刻しそうになることは多々あります。なので極力そこで引っ掛からないよう、かなり慎重に周りを見て乗り越えるのですが、問題はもうひとつの橋なのです。その橋は駐輪場に自転車を置いて会社にまで行くちょっと大きめの橋なのですが、大きめといってもこれまた距離は短く、それこそここも10mに満たないくらい。ただ車も通るためかなり広めで、アールのかかった、私にとっては充分に大きな橋なのです。
もちろん車が通るためちゃんと段差のある歩道があります。横幅も1mくらいはありそうなので充分人が行き来出来ます。そして当然ながら人が落ちないようにおおよそ1m強の欄干もあり、ある意味最初の橋に比べたらこれぞ橋って感じなのですが――会社近くに学校があるからかやたらと学生が多く、ただでさえなのに、不規則な動きをする学生たちが怖くてたまらないのです。
人通りが少ない方がかえって不安
とはいえ方向はみな同じだからか、その時間に前から向かってくる人はほとんどいません。なので私は歩道のギリギリ、なんなら段差のヘリを踏みながら、前の人の背中、もしくは足元に視線を向けて、とにかく無心で橋を渡りきるのです。
ただ以前、極力人通りの多い道を選ぶと書いた通り、むしろ人がいてくれるほうが安心なのです。色んな可能性が増え余計に不安になりそうなものですが、なぜか人通りが少ないほうがかえって不安になりやすいのです。おそらく対象物が限られてしまうから、下手に記憶に残ってしまうからと勝手に分析しているのですが、実際人通りが少なかったり、誰もいない方が私はかえって不安になりやすいのです。
行きと帰りが同じと思うなかれ
そんな感じで会社についても、帰りにまた同じことを繰り返すのは言うまでもありません。しかしながらこれがまた不思議なことに、同じことといっても私にとってはまったくの別事で、行きと帰りではまたちょっと違った不安に襲われるという、なんとも困ったものなのです。
確認行為はある種ルーチン化された一連の動きであり、確認脅迫に囚われている最中はそのルーチンが崩れるのを酷く恐れます。たとえば確認の最中に物音が聞こえたり、右手で持つところを左手で持ったりと、いつもとは違う状況や行動にとにかく違和感を抱いてしまいついまた最初からやり直してしまうのです。私の場合どうやらそれが加害恐怖にも適応されているらしく、つまりは方向が違えばまた別の行為として捉えてしまっているみたいなのです。
ちょっとわかりにくいですかね?簡単にいうと人は右、自転車は左なのが方向が逆転すると同じ道でも違う道を歩いているような、事実歩道も自転車道も行きと帰りでは逆になるので、また違った加害恐怖が待っているのです。じゃあ帰りはどうしているかなんて書いてもやってることは同じなので割合しますが、実は帰りの大きな橋の方が怖いんですよね。人通りが少ないから……。
ともあれこんな感じで私は毎朝2つの橋に悩まされています。もちろんそれ以外の加害恐怖もありますがそれはまた別の話。よくもまあ毎日同じことに怯えているなとは思いますが、今日も誰にも危害を加えてなくてよかったなんて安心している時点で結構重傷なんでしょうね。

