角を曲がるのに恐怖を感じます
- 2019/05/09
- 23:28
セロトニンの記事を書いてからというもの、いい機会だからと昼休みにちょっとした散歩をするようになりました。健康のためにも決して悪いことじゃないうえ、実際それなりに気分転換にもなっているのでいいことずくめだな――なんて思ったのも束の間、予想通りまた出ましたね。加害強迫が……。
毎日の散歩ルートはおおむね決まっています。まずは会社を出て100mほど直進するとT磁路にぶつかるので右に曲がります。そこから400mくらい直進すると今度は十字路にぶつかるのでまた右折。そこから100mほど進むとまたT磁路にぶつかるので右に曲がり、400mくらい直進したところで会社に到着するという感じです。ようは右回りに100m→400m→100m→400mの長方形を描くような形になるのですが、なぜか二つ目の角を曲がる時だけ異常なまでに人に触れてないかが気になるのです。
まったくもって不明です。強いていうならそこだけ十字路なことくらいでしょうか。あ、だからその角だけは残り二つの角に比べて人通りが多いのか……。なので人と接触する可能性が高いため緊張するのでしょうかね?もはや自分のことなのに自分でもよくわかりません。
そもそも角といってもその角地にあるのは学校であり、通用門的に斜めに開けているため見通しはどの角よりもいいのです。おまけにお昼だから校内で食事しているため生徒は出入りしておらず、ぶっちゃけ田舎なので十字路を行き交う人の数もかなりまばらです。それでもまあ、他の角に比べれば人はいますから――やっぱりそれが要因なんでしょうかね……。
加害強迫に無縁の方にはまったくもって理解不能かと思いますが、私がその角を曲がる時何を考えているのかというと、なにはさておきドキドキしています。おそらく10mくらい手前から緊張が始まり、角を曲がる際はとにかく人に触れないよう右側のギリギリを歩くのです。気持ち的にはこんなヤツが歩いてごめんなさいな感じですかね。
ただありがたいことにそこは学校の通用門なだけに斜めにカットされた低い階段になっているため、ともすれば私はその一番下の段を沿うようにうつむき加減でスタスタと歩き去っています。だったら問題ないじゃん!と思うかもしれませんが、強迫性障害しかり加害強迫というものはとかく理不尽なもので、そこに誰もいないとわかっていても過ぎ去ったあとすぐ誰かに接触していなかっただろうかと不安に襲われてしまうのです。
どうもこうも気になります。気になりますけど振り返ったら負けなのです。もちろん本当に人と接触していたらえらいことですが、正直普通に歩いている限り誰かと接触するなんてまずありえず、むしろ接触して気がつかないという方がどうかしているのです。なのにもしも――なんて考えてしまうのが加害強迫であり、どうしてもそれが拭いきれない時は、残念なことに私は敢えてもう一週してしまうです。
ただそれはやり直しとはまた違います。いわゆる犯罪者が犯行現場に戻る真理です。もう一度そこを見て本当に何事も無かったかを確認したいがための行為なのです。なら振り返った方がマシじゃんとも思うのですが、それはそれでなんか負けたような気がするのです……。さらに屁理屈を捏ねるならば振り返り来た道を戻るとなると進行方向が逆になりますよね?それがまた感覚が異なってしまい余計な違和感を覚えてしまうのです。
難儀ですね。書いていて可哀相なヤツなんて自分で自分に同情してしまいます。ま、それでも散歩は続けますけどね。そしてなんとも思わなくなるまでルートは意地でも変えません。前向きなのかマゾなのかよくわかりませんがそういうヤツなんです……。
散歩ルート
毎日の散歩ルートはおおむね決まっています。まずは会社を出て100mほど直進するとT磁路にぶつかるので右に曲がります。そこから400mくらい直進すると今度は十字路にぶつかるのでまた右折。そこから100mほど進むとまたT磁路にぶつかるので右に曲がり、400mくらい直進したところで会社に到着するという感じです。ようは右回りに100m→400m→100m→400mの長方形を描くような形になるのですが、なぜか二つ目の角を曲がる時だけ異常なまでに人に触れてないかが気になるのです。
その理由は
まったくもって不明です。強いていうならそこだけ十字路なことくらいでしょうか。あ、だからその角だけは残り二つの角に比べて人通りが多いのか……。なので人と接触する可能性が高いため緊張するのでしょうかね?もはや自分のことなのに自分でもよくわかりません。
そもそも角といってもその角地にあるのは学校であり、通用門的に斜めに開けているため見通しはどの角よりもいいのです。おまけにお昼だから校内で食事しているため生徒は出入りしておらず、ぶっちゃけ田舎なので十字路を行き交う人の数もかなりまばらです。それでもまあ、他の角に比べれば人はいますから――やっぱりそれが要因なんでしょうかね……。
その角を曲がる時
加害強迫に無縁の方にはまったくもって理解不能かと思いますが、私がその角を曲がる時何を考えているのかというと、なにはさておきドキドキしています。おそらく10mくらい手前から緊張が始まり、角を曲がる際はとにかく人に触れないよう右側のギリギリを歩くのです。気持ち的にはこんなヤツが歩いてごめんなさいな感じですかね。
ただありがたいことにそこは学校の通用門なだけに斜めにカットされた低い階段になっているため、ともすれば私はその一番下の段を沿うようにうつむき加減でスタスタと歩き去っています。だったら問題ないじゃん!と思うかもしれませんが、強迫性障害しかり加害強迫というものはとかく理不尽なもので、そこに誰もいないとわかっていても過ぎ去ったあとすぐ誰かに接触していなかっただろうかと不安に襲われてしまうのです。
結果どうしているか
どうもこうも気になります。気になりますけど振り返ったら負けなのです。もちろん本当に人と接触していたらえらいことですが、正直普通に歩いている限り誰かと接触するなんてまずありえず、むしろ接触して気がつかないという方がどうかしているのです。なのにもしも――なんて考えてしまうのが加害強迫であり、どうしてもそれが拭いきれない時は、残念なことに私は敢えてもう一週してしまうです。
ただそれはやり直しとはまた違います。いわゆる犯罪者が犯行現場に戻る真理です。もう一度そこを見て本当に何事も無かったかを確認したいがための行為なのです。なら振り返った方がマシじゃんとも思うのですが、それはそれでなんか負けたような気がするのです……。さらに屁理屈を捏ねるならば振り返り来た道を戻るとなると進行方向が逆になりますよね?それがまた感覚が異なってしまい余計な違和感を覚えてしまうのです。
難儀ですね。書いていて可哀相なヤツなんて自分で自分に同情してしまいます。ま、それでも散歩は続けますけどね。そしてなんとも思わなくなるまでルートは意地でも変えません。前向きなのかマゾなのかよくわかりませんがそういうヤツなんです……。

