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怒りという感情は重荷以外のなにものでもありません

去年だかTwitterでバズった言葉に「怒りは貧しい人の娯楽」なんてものがありました。耳にするだけでもハッとさせられるものがありますが、貧しいという単語が「金銭的に」だけでなく「心が」にも掛かりうると考えると、よもや愚かしい自分に向けた戒めの言葉にさえ思えてきます。

確かに怒りというものは誰かしらにその矛先を向けることでストレス発散出来るだけでなく、同意されるとなんだか心情を分かってもらえたような気がして高揚感をも味わえたりします。しかも、そこに金銭的負担はいっさいかからない、いつでもどこでも出来るお手軽さはまさに庶民のための娯楽、よもや麻薬のような中毒性があるといっても過言ではないでしょう。ですが、客観的に怒っている人を見るとどうにも不快以外のなにものでもない感覚に貶められます。高圧的な態度や横柄な物言いなんてのは見るにも聞くにも堪えがたいもの。たとえそれが自分に向けられたものでなくても、目を伏せ、耳を塞ぎ、その場から立ち去ってしまいたくなります。

怒りにより強制的に相手を従わせることは可能です。しかしながら同時に相手の心には大なり小なり不満という感情を生み出し、その場はよくてもその後の関係性は決して望ましいものにはなりません。多くはそんなつもりはないというのが正直なところでしょうが、怒りにまかせてことを制したところでそれは恐怖政治以外のなにものでもなかったりするのです。おそらく怒りという感情を抱くことで興奮状態になると同時になにかしらの快楽物質が分泌され、それによりストレスが発散されてスッキリしたと錯覚するのでしょうね。その代償は計り知れないほどの損失しか生み出さないとわかっていても、つい一時的な興奮と快楽に身を委ねてしまうのはある意味人としての性なのかも知れませんね。

怒りという感情はなにも人に向けるだけのものではありません。ただ生きているだけで腹が立つことなんていくらでもありますものね。ちょっとしたことで頭に血が上り、思いがけず心に怒りの感情が湧き上がるなんてのは日常茶飯事。けれど誰しも無用な争いは避けたいから、その場では我慢して口にしないよう心掛けるものです。しかしながら、一度心に抱いた負の感情は考えれば考えるほど上手く消化出来ず、心にわだかまりが生じてはしばらく何も手がつけられなくなるのもまた悲しいかなよくあることだったりします。私はそれをよく想像で誤魔化していました。ああ言えばこう返され、それにはこう返して、なんてシミュレーションを頭の中で行い、ある意味自分の都合のいいように解釈しては無理矢理それを抑え込んでいました。それもまたひとつの手だとは思います。けれどもあまりやりすぎると想像と現実の区別がつかなくなると言いますか、いついかなる時も負の感情を心に抱いているような感じで、結果的にいつまで経っても落ち着かなかったりするのです。

人である以上怒りという感情をゼロにするなんてことは出来なません。怒りをバネに――なんて言葉もありますがそれにも限度があります。つまるところ考えないのが一番なのでしょうが、それが出来れば苦労しないんですよね――。だから最近ではそんな時、件の「怒りは貧しい人の娯楽」なんて言葉を思い出すようにしています。本来の意味はどうあれ、自分は今とんでもなく馬鹿馬鹿しいことをしているのだと気づかすだけで少しは心が晴れるような気がするのです。怒りの感情なんて抱くだけ損、持ち続けるほど重荷、世の中には、いや、自分にはもっと楽しい娯楽がいっぱいあるのだからそんなしょうもないことに時間を割く暇はないと――。

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