肯定するための否定は結果的にネガティブ言葉になるようです
- 2021/05/14
- 22:24
幸せ言葉を筆頭に、日々ポジティブな言葉を唱えれば身も心も幸せでいられるなんて言いますが、同様にネガティブな言葉を口にすればするほど不幸とまでは言わないまでも、少なからず身も心も悪い方向に荒んでいくものです。いわゆる病は気からみたいなもので、物事の多くはある程度気持ちでなんとかなるものですが、それは決して正の方向だけではなく、負の方向にもまた同じように働きかけるもののため注意が必要と言えます。
とはいえネガティブな言葉ってなんでしょうね。ビジネスシーンにおいては、しんどい、疲れた、忙しいなどがその代表とされますが、やりたくない、頑張りたくないなど、むしろ否定形のほとんどがネガティブ言葉そのもののようにも思えます。また否定形でなくとも、あれしては駄目これしては駄目のように、結果として否定する内容の言葉もまたネガティブ言葉と言えるでしょう。なかでも同じ否定形ながら肯定するためにつかう否定は特に注意が必要のようです。肯定させるためにつかう否定とはすなわち自分を奮起させるための否定です。例えばしんどくない、疲れてない、忙しくないなど、なんとなくネガティブな言葉を否定するからポジティブになりそうなものですが、そもそも脳というものは否定を理解出来ない構造をしているためいくら言い聞かせたところで無意味、どころかそれを理解するためにもともとの言葉である、しんどい、疲れた、忙しいを連想してしまうためかえって逆効果となるようです。
考えてみればネガティブ思考な私の頭の中は否定形の言葉が多いように思えます。特に自分を鼓舞するために、まるで言い聞かせるような形でネガティブ言葉を否定していることが多いです。そもそもがネガティブだから選択する言葉さえもネガティブなのかと思っていましたが、結果的に自ら以てしてネガティブに拍車を掛けていたようですね。なのでこれからは気をつけようと再三注意してはいるのですが――なかなかどうして、染みついたネガティブ言葉の否定がどうにも抜けず、暇さえあれば対義語・反対語辞書ばかり開いています――。
とはいえネガティブな言葉ってなんでしょうね。ビジネスシーンにおいては、しんどい、疲れた、忙しいなどがその代表とされますが、やりたくない、頑張りたくないなど、むしろ否定形のほとんどがネガティブ言葉そのもののようにも思えます。また否定形でなくとも、あれしては駄目これしては駄目のように、結果として否定する内容の言葉もまたネガティブ言葉と言えるでしょう。なかでも同じ否定形ながら肯定するためにつかう否定は特に注意が必要のようです。肯定させるためにつかう否定とはすなわち自分を奮起させるための否定です。例えばしんどくない、疲れてない、忙しくないなど、なんとなくネガティブな言葉を否定するからポジティブになりそうなものですが、そもそも脳というものは否定を理解出来ない構造をしているためいくら言い聞かせたところで無意味、どころかそれを理解するためにもともとの言葉である、しんどい、疲れた、忙しいを連想してしまうためかえって逆効果となるようです。
考えてみればネガティブ思考な私の頭の中は否定形の言葉が多いように思えます。特に自分を鼓舞するために、まるで言い聞かせるような形でネガティブ言葉を否定していることが多いです。そもそもがネガティブだから選択する言葉さえもネガティブなのかと思っていましたが、結果的に自ら以てしてネガティブに拍車を掛けていたようですね。なのでこれからは気をつけようと再三注意してはいるのですが――なかなかどうして、染みついたネガティブ言葉の否定がどうにも抜けず、暇さえあれば対義語・反対語辞書ばかり開いています――。

