頭ではわかっていても気分がそうさせてくれません
- 2021/06/02
- 21:38
時折人の言ってる言葉がわからなくなる事があります。理解出来ないとかではなく、例えば日付だったり例えば時間だったりと、それが大事な事であればあるほどに「本当にこれで合っていたっけ?」などと不安になりがちです。そんな時私は恥を忍んでもう一度聞くのですが、一度不安になったものが二度聞いて解消出来るはずもなく、結果何度も聞き返したくなるのもまたある種の強迫性障害、確認行為のひとつなのかもしれません。
ただ、かろうじて二度聞いても絶対に三度目は聞かないよう心掛けてはいます。だって、二度聞いてモヤモヤするものは三度聞いたところできっと納得出来ない、どころか確認行為を何度も何度も繰り返すのと同じように際限なく聞いてしまい、結果として相手を不快にさせるだけ。それは紛れもなく巻き込み行為となるでしょうからとにかく必至で我慢する他術はありません。
話をしっかり聞いていればそんな事にならないと言う人もいますが、不安というものはしっかり聞いていないから起こるとも限らず、突然何の前触れもなく湧き上がるだけにとてもやっかいです。事実、私はよくこうした事が起こるため、約束事や決め事など忘れてはならない事柄は必要以上にしっかりと見聞きして、なんなら書いてまで覚えようとするのですが――それでもなんの前触れもなく不安が過るが最後、延々とその不安に苛まれてしまうのですから本当にたまったもんじゃありません。
ただ、訪れるのが突然ならば消えるのもまた突然であり、どんなにこの不安は一生拭えないのではないだろうかと悲観的になろうとも、大抵の、いや、ほぼすべての不安はある日突然何の前触れもなく記憶から勝手に消え去ってくれます。もちろん実際には消え去ってなどいないのでしょうが、不安はもとより記憶というものは常に更新されるものであるため、余程に意識しない限りは引き出せなくなってしまうのです。逆に言えば不安を抱けば抱くほどにそれは記憶として定着してしまうため、払拭するにはとにかく新しい記憶で埋め尽くす、つまりは古い記憶を隅に追いやるのがなにより手っ取り早い解消法だと思うのです。
そうは言ってもなかなか出来ないもので、昨日もまたどうでもいいことでひとり不安に苛まれていました。けれど、こうしてこの記事を書いてる今は、もうすでになんでそこまで悩んでいたのかさっぱり。いやはや得手勝手なものです。願わくば意図的に記憶を追いやれたらそれに越したことはないのですが――なかなかどうして、理屈は分かっていても気分が乗らないとそれすら出来ないのですから難しいものですね。
ただ、かろうじて二度聞いても絶対に三度目は聞かないよう心掛けてはいます。だって、二度聞いてモヤモヤするものは三度聞いたところできっと納得出来ない、どころか確認行為を何度も何度も繰り返すのと同じように際限なく聞いてしまい、結果として相手を不快にさせるだけ。それは紛れもなく巻き込み行為となるでしょうからとにかく必至で我慢する他術はありません。
話をしっかり聞いていればそんな事にならないと言う人もいますが、不安というものはしっかり聞いていないから起こるとも限らず、突然何の前触れもなく湧き上がるだけにとてもやっかいです。事実、私はよくこうした事が起こるため、約束事や決め事など忘れてはならない事柄は必要以上にしっかりと見聞きして、なんなら書いてまで覚えようとするのですが――それでもなんの前触れもなく不安が過るが最後、延々とその不安に苛まれてしまうのですから本当にたまったもんじゃありません。
ただ、訪れるのが突然ならば消えるのもまた突然であり、どんなにこの不安は一生拭えないのではないだろうかと悲観的になろうとも、大抵の、いや、ほぼすべての不安はある日突然何の前触れもなく記憶から勝手に消え去ってくれます。もちろん実際には消え去ってなどいないのでしょうが、不安はもとより記憶というものは常に更新されるものであるため、余程に意識しない限りは引き出せなくなってしまうのです。逆に言えば不安を抱けば抱くほどにそれは記憶として定着してしまうため、払拭するにはとにかく新しい記憶で埋め尽くす、つまりは古い記憶を隅に追いやるのがなにより手っ取り早い解消法だと思うのです。
そうは言ってもなかなか出来ないもので、昨日もまたどうでもいいことでひとり不安に苛まれていました。けれど、こうしてこの記事を書いてる今は、もうすでになんでそこまで悩んでいたのかさっぱり。いやはや得手勝手なものです。願わくば意図的に記憶を追いやれたらそれに越したことはないのですが――なかなかどうして、理屈は分かっていても気分が乗らないとそれすら出来ないのですから難しいものですね。

